「旅」のことのはぐさ

タイトルの「ことのはぐさ(言の葉ぐさ)」とは話題のことです。旅の話題を幅広く掲載したいと思っています♪

【和歌山】日本初の展望屋外エレベーターのあった、和歌浦の奠供山(てんぐやま)へ行ってみました。

日本初の屋外展望エレベーターが建設されたのは、和歌山市だということをご存知ですか?

夏目漱石の小説「行人」では、大阪から和歌山へ家族で旅行に出かける様子が生き生きと描かれており、当時の様子をしのぶことができます。

(主人公はクールであまり興奮しない性格ですが、奠供山のエレベーターはまんざらでもなさそうで、少し興奮しながら物珍しがっています。漱石自身も、エレベーターに興奮したのではないでしょうか。)

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 この、エレベーターは望海楼という旅館が建設したもので、明治43年に建設されました。東洋一のエレベーター「明光台」として大々的に宣伝されたと言われています。

和歌浦は、明治から昭和初期にかけて景観保全に気を払っており、エレベーターの建設にあたっては、反対派と賛成派が激しく対立したと伝えられています。

和歌浦村の景観に関する熱意は、並々ならぬものがあり、同じく和歌浦を代表する史跡である観海閣が損壊した際には、景観上欠かすことができないとして、熱心な再建運動を展開しています。

(もともとは、紀州徳川家が設置したものですが廃藩置県のあと、管理者が不明となっていた観海閣を、村でお金を出してもいいので再建させて欲しいと訴えかけたものでした。)

後年に、南海遊園(後年、新和歌浦に出来た同名の遊園とは別物、計画のみで頓挫しています。)という水族館・遊園地を併設したテーマパークの建設や路面電車の延伸についても反対運動が起こっており、昔の和歌浦の人々は景観保全に、強い関心があったことをうかがわせます。 

反対運動もある中、強硬にエレベーターを建設して、開業します。できた当初は、大人気で京阪地区を中心に多くの人々が訪れたようですが、すぐに乗降客が減ってしまい経営的には、軌道に乗らなかったようです。

反対運動は建設後も続き、経営的にも上手くいかないということで、はやくも大正5年に、第一次世界大戦で鉄の値段が上がったことを幸いにスクラップにされてしまい、姿を消すこととなります。

旅館「望海楼」自体も、さらなる積極的な開発を目指して、当時開発が始まったばかりの新天地「新和歌浦」へ移転します。

実際に行ってみました

まずは、玉津島神社へ。小さい境内ですが、きれいに整備されています。

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徳川家の時代には、東照宮末社に位置付けられていましたが、歴史的には東照宮よりも、古い神社です。大昔は、名前の通り玉津島という海に浮かぶ島でその風景は玉が浮かぶような絶景で、その美しさは多くの和歌に歌われています。

もともとは、島自体が神様としてあがめられており、もともとは無社殿の神社だったようですが、江戸時代にはすでに社殿が建てらていたようです。

奠供山へは、鳥居をくぐって、社殿の右どなりを通って裏手にある登山道に向かいます。社殿の右手には、江戸時代の学者が奠供山の云われについて研究した結果を記した石碑が保存されています。

登山道は、手すりが整備されていますが、掃き清められていた境内とは違って、階段が落ち葉に埋もれており、訪れる人は限られている様子。

途中に右手に折れる道がありますが、こちらは神社の裏手へ下る道です。

まずはまっすぐ進みましょう。今度は左手に曲がる道があります。どちらに行っても同じ山頂に到着します。左手に曲がったほうが少しなだらかで、眺めも開けているのでおススメです。

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こうやって書くと、ずいぶん距離があるのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、神社から200メートル程度でしょうか、かわいい山登りです。料金を払ってエレベーターに乗るのが、物珍しい一時期だけだったというのもうなずけます。歩いても10分かからない程度です。

昭和50年ごろの資料では、エレベーターの基礎部分を今でも見ることができるとありますが、現地では見分けることができませんでした。夏に訪問したので、冬なら見つけることができるかもしれません。

山頂には、称徳天皇行幸した際に、望海楼(明治時代のエレベーターを作った旅館はここから名前をとったものですが、別物です。エレベーターのあったことでも記念したものかと現地に行くまで勘違いをしていました)が作られたという故事を記念して、江戸時代に作られた「望海楼遺址碑」があります。もともとは、塩濱神社の鳥居の右側に建てられていたのですが、明治天皇行幸の折に軍艦から見える位置にということで、山の上に移設されました。

頂上からの眺めは抜群。和歌浦片男波の砂浜を一望することができます。展望エレベーターがあった時とは、ずいぶんと風景は変わってしまったでしょうが、今でも美しい風景であることには変わりはありません。

新和歌浦方面の眺望。直下の和歌浦地区には、今でも高いビルがありません。景観保護の成果ですかね。

片男波方面の眺望。対岸下津の石油工場まで見渡すことができます。

裏手の登山道散策

さて、山頂を後にして下へ降りてみましょう。先ほど曲がらなかった、横道へそれてみます。神社からの登山道よりも簡易的で、手すりなどはありませんが、階段は比較的最近になってから整備された様子。

その理由は下まで降りて判明しました。津波の避難用になっているみたいです。おそらく東日本大震災以降に整備をしたのでしょう。この下にも小さなお稲荷さん(日ノ出大神)があります。裏手の登山道も新しく整備したわけではなく、古い道を再度手を入れたのでしょう。

民家の間を縫うように

 

細い路地が続いていきますが、途中に不思議なものを発見。巨大なコンクリートで固めた岸壁のようなものが奠供山にありました。

一瞬、エレベータの後かと思いましたがよく見てみると、反対側の山にもちょうど向かい合って同じ大きさのものがありますし、そもそもエレベーターの写真を見る限りでは、コンクリートの岸壁などありません。

橋がこんなところにあったのかなと疑いながらも現地では、確信がつかめませんでした。

後から調べると昭和8年に県が和歌公園整備の一環として設置したようです。残念ながら、間もなく、前後の道が草に埋もれてしまい、近所の子供たちの遊び場ぐらいしか役に立っていなかったようですが、存在感は大きく地元の人に親しまれていたようです。

その後老朽化し、コンクリートが剥がれ落ちて民家に落ちたりと危険もあったようで2010年についに撤去されてしまったとのことです。

(地元紙の紀伊民報のサイトに記事がありました。撤去前の写真も掲載されています。)

あと6年早ければ、陸橋の雄姿を見ることができたのに残念です。(><)

(終わり)

次は奠供山の隣にある、洞穴を神様として祭っている鹽竈神社和歌浦のシンボル、不老橋をご紹介します。

 

関連情報

行人 夏目漱石

夏目漱石の後期3部作と言われる作品です。嫂(あによめ)と仲良しなクールなお坊ちゃんが兄貴に睨まれて、苦悩する話です。

小説の前半で、大阪から列車にのり、和歌浦へと向かっていくシーンが細かく描写されています。電車の中の食堂車で食事をしたり、奠供山のエレベーターに乗ったりと、明治の和歌山観光を偲ぶことができます。

ストーリ全体も大好きです。漱石の得意とした、明治知識人の苦悩がテーマとなっています。

行人 (新潮文庫)

行人 (新潮文庫)

 

 青空文庫の無料版もあります。

周辺スポットのご案内 

 

 

 

【中国・北京】中国を代表する文学者「魯迅」の故居、北京魯迅博物館

中国を代表する文学者、「魯迅」の博物館です。中国国内では、国民的人気を誇る作家の一人で、革命文学の担い手として高い評価を受けています。日本で言えば、夏目漱石のような位置付けですね。

若い頃は、日本の仙台に医学生の卵として留学をしますが、母国中国の人々が虐げられる映画を見て、一念発起し文学者を目指したと伝えられています。

仙台を後にした魯迅は、中学校教師として過ごした後、民国政府の成立とともに北京に移り、官吏の職につきます。北京で、初めての小説「狂人日記」や革命文学の傑作「阿Q正伝」などを書き上げました。

北京時代の最後の2年余りと短い期間ですが、魯迅は北京魯迅博物館の場所に住居を構えていました。

この住居に住んで大学講師の傍、文学作品を発表していましたが、北京を支配していた軍閥政府を批判したことで、政府から追われる身となり北京を後にすることとなります。(軍閥政府の対日政策が軟弱なことを批判したといわれています。日本人としては、考えさせられますね。)f:id:hino0526:20160921221223j:plain

中国共産党政権から高く評価をされている、魯迅の博物館だけあって、当然のように無料で見学をすることができます。

魯迅に関する資料が大量に所蔵されており、コンパクトな見かけによらず、見応えたっぷり。見学には、1時間以上かかります。

写真パネルなどの展示も多いので、魯迅に関して興味をお持ちの方なら、中国語が苦手でも楽しめると思います。

魯迅の著作に使われた挿絵の版画の数々。

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珍しいところでは、今は亡き西武美術館(のちのセゾン美術館)の「魯迅展」のポスターが展示されていました。西武が文化の先端を突っ走っていた時代のことでしょう。

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魯迅以外にも中国に関わる文学作品の展示もあります。下は、有名な小説「大地」パール・S・バックのパネル。

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近くに行きたい場所があったので、「無料だし〜」と、寄っただけでしたが、好きな小説に関する展示が出ていたので、たいへん面白かったです。魯迅のことに少しでも興味のある人なら寄ってみて間違いないかと。

アクセスは、地下鉄 「阜成门」駅から徒歩5分ほど。細い通りの突き当たりにあるので、曲がり角を見逃さないように。曲がるところに、案内の看板が出ています。

付近の見どころ

博物館の付近は、北京の昔ながらの下町が広がっていますので、見学がてら散歩をしてみると面白いですよ。博物館のそばには、地元の人が訪れる、食堂や食料品店があります。

また、東に500メートルほど行ったところに、元の時代から続く、白塔寺というチベット仏教寺院があります。シンボルの美しい白塔は、一見の価値があります。中に入るのは有料ですが、境内の外からでも見ることができるので、博物館に訪れた際には、寄ってみてください。

白塔寺のさらに東には、歴代帝王廟、地質博物館がともに徒歩圏内にあります。

関連情報

阿Q正伝

 魯迅の代表的著作。村の人々から馬鹿にされている、無知で貧しい阿Qの視点で、革命前後の中国人の精神を鋭く批判している。小説としては、非常に読みやすく、それだけに多くの人々に影響を与えたと言われています。

青空文庫でも公開されているので、無料で楽しむこともできます。

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

 

 大地

 全4巻の長編小説ですが、三部構成で各部だけでも独立した小説として楽しむこともできます。主人公の王龍が、必死に生きることで貧農から富農へと駆け上がっていくことで様々なドラマが展開されていきます。こちらも革命前後の中国が舞台となっています。一族3代にわたる壮大なストーリー。

読み始めると、はまってしまい、寝るのも忘れて読んだことを覚えています。

大地 (1) (新潮文庫)

大地 (1) (新潮文庫)

 

 

【中国・北京】地下鉄2号線で簡単に行ける、北京最大のチベット仏教寺院「雍和宮」と「北京孔子廟」

北京市の環状線、地下鉄2号線。北京を観光するなら幾度となく、お世話になることになるでしょう。その2号線の北部に「雍和宮」という駅があるのをご存知でしょうか。

駅の名前は、駅の上にある雍和宮からとられたものです。もともとは、離宮として「雍正帝」が親王だった時代の住居で、「乾隆帝」が生まれた場所でもあります。

清王朝の時代は、皇帝が生まれた場所は、引き続き住居として利用することが許されず、寺などにするのが習わしでしたので、現在のようなチベット仏教寺院へと改装されます。

特徴的なのが、皇帝にしか許されない黄色の瑠璃瓦を載せていること。これは、「雍正帝」が亡くなった後に、埋葬するまでこの「雍和宮」に安置されました。そのときに吹き替えをしたそうです。まるで故宮の建物であるかのようです。

敷地は決して広くはないですが、伽藍が何重にも並んでおり、見応えはたっぷり。しっかり、見ていくと1時間以上かかると思います。

参拝客か多く、観光地ではなく、地元の人たちの信仰の場所となっています。

一番の見所は、一番奥(北側)にある万福閣に安置されている、世界最大の木造と言われる16メートルの弥勒菩薩の立像です。

ちなみに日本最大の木造仏は、和歌山市の紀三井寺あり、約11メートルです。11メートルでもすごいと思いましたが、伽藍の規模、立像の大きさ、ともに雍和宮の方が見応えがあります。

ただ、豊臣秀吉が建立した京の大仏は、木造ながら19メートルあったと伝えられており、本当であれば、京の大仏の方はより大きいことになります。

建物内部が吹き抜けになっており、天井いっぱいまでの高さがあります。私が訪問した時は2階からお坊さんの祈りが聞こえてきて、たいへん厳かな雰囲気でした。

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上記の写真は「CC BY-SA 3.0」で公開されています

どうですか、この見事な弥勒菩薩像。香木として有名な白壇でできているそうです。いったい、どのぐらいの価値があるのでしょうね。

路地はおしゃれスポット

すぐそばの路地歩きも楽しいのが、このエリアの特徴です。

雍和宮のすぐ西側にある、五道营胡同には、伝統的な住居をリノベーションしたカフェやレストラン、そしてゲストハウスが並んでいる、文化的なエリアです。交通の便もいいですし、静かなので、宿泊にもオススメです。

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道路の入口には、北京精進料理の有名レストラン「京兆尹」のお店もあります。お値段さえ許すのであれば、雰囲気、味ともに最高らしいです。サイトを見てみると、一人当たり400元ぐらいかかるみたいです。

私はお値段が許さなかったので、遠慮しました(笑)奥には、もっとリーズナブルなお店もたくさんありますので、ご安心を!

北京孔子廟へ

もう一つの見所が、北京孔子廟です。槐(えんじゅ)の並木道と牌楼が目印です。街路の上の牌楼で現存しているのは、数少ないらしいです。(交通の邪魔ということで、撤去されてしまったみたいです。)

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境内は静かな雰囲気。こちらは観光客の訪問ばかりですね。どこの国でも孔子廟は静かなところが多いですね。近年では、孔子の再評価がすすんでいると言われていますが、先ほどの「雍和宮」と比べると、参拝している人は皆無に近く、訪問者も歴史的施設として見ているだけといった様子です。

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孔子廟の隣にあるのが、国子監という官吏の教育施設。未来の官吏を育てるための教育を行っていました。敷地内にはたくさんの石碑が残っています。教科書代わりに使われ、拓本をして多くの学生が勉強をしたそうです。

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(終わり)

おまけ

北京に来ているとはいえ、1回ぐらいは広東料理、特に飲茶を食べたいと思いませんか。中国茶と一緒に、美味しい点心。これが大好物で、大好物で、なかなか日本で食べるとお酒と一緒だったり、変にコースになっていたりと、なんか違うんですよね。

実は、駅のそばに金鼎軒という広東料理の有名店があります。一人100元ぐらいとリーズナブルなお値段で、飲茶を楽しむことができます。24時間営業ですので、好きな時間に訪問してみてください。

注文表にチェックするスタイルですので、中国語が苦手でも安心です。

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詳細な場所は下記をクリック。駅から高架道路をくぐって、地壇公園に行く途中にあります。地壇公園は、皇帝が地の神様への祭礼を行う施設で、天壇と対になる場所です。

Google マップ

関連情報 

参考文献

6年前と少し古い本ですが、歴史的建築物を中心に紹介しているので、あまり問題はないと思います。丁寧に細かく、歴史的経緯を記述していますが、行く前に読むとなかなか興味が湧きづらく、なかなか読み進めるのが難しいかもしれません。

行く前よりも、行った後に、「あ〜こんな場所だったんだ」と読み返してみたほうが楽しめるかもしれません。文字数の限られている新書という形態ながらも、北京の有名な歴史的建築物はひととおり網羅しています。

ガイドブックの簡単な説明では物足りない方にオススメです。

北京―都市の記憶 (岩波新書)

北京―都市の記憶 (岩波新書)