【鳥羽・菅島】独自の文化を保ち、ゆったりした時が流れる離島「菅島」
本土からわずか15分の距離にある、お手軽離島の菅島
三重県鳥羽市は、多島海で有名な地域です。瀬戸内海と比べても見劣りしない、日本有数の美しい海を持つ地域と言っても過言ではありません。6つの有人島が存在し、神島は、三島由紀夫の小説、「潮騒」に出てくることでも有名です。
今回、ご紹介する菅島は、その鳥羽の離島の一つ、沖合3キロに位置し、定期船でわずか15分ほどで行くことができます。付近の島の中では、2番目に大きく人口は600人ほど。しかし、そんなアクセスの良い土地ながら、実際に行ってみると、現代の日本とは思えない、どこか懐かしいような景色を楽しむことができます。
まずは、鳥羽マリンターミナルへ
鳥羽駅の前にある、鳥羽マリンターミナルから500円で定期船が出ています。2時間に1本ほどしかないので、鳥羽市定期船の事前に時間を確認することをオススメします。
※フェリーターミナルとは、違う場所にあるので注意!
車で来た方は、マリンターミナルの付近の駐車場に長く停車すると割高になるので、駅の西側に駐車すると良いですよ。駅の西側にある、鳥羽水族館の駐車場なら5時までなら何時間でも500円で駐車が可能でした。
鳥羽駅周辺には、鳥羽城や江戸川乱歩館(鳥羽みなと町文学館)などいくつかの見所があるので、ゆっくりできる駐車場に停車してあわせて訪問すると良いですよ。
近代的な鳥羽マリンターミナル。切符を購入し案内表示に従って、菅島行きの埠頭へ。まるで、電車のプラットフォームのようで、日常で船に乗らない私には、新鮮な経験。気持ちが高まってきます。
やってきた船は、予想と違って近代的な定期船。二階には、オープンテラスの席まであります。ただ、休日でしたが、あまり観光客は3組ほどしか見当たらず、地元の方々の利用の方がメインの様子でした。中も美しい、離島に行くというよりも空港への連絡船が似合うような最新鋭の船です。
わずかな15分ほどの時間の間ですが、美しい多島海をクルーズを楽しむことができます。遊覧船もあるだけあって、本当に美しい海です。
島につくと、ここでも切符をチェックされました。下船時まで、切符は持っておきましょう。
菅島に到着
下船した先は、まるで駅前のように、自転車や原付そして、島の交通手段の基幹を担う軽トラックがところ狭しととまっています。
人と一緒に荷物も降ろされ島の各地へ配達されていく様子。アマゾンのダンボールも目に入りました。
降りてすぐの場所にあった菅島の観光案内板。山頂にある慰霊碑は、かつて自衛隊のCー11飛行機が墜落した菅島事故を悼んだものです。今でも、飛行機の残骸が見つかるそうです。
海産物の島
港付近で入るのが、海藻や魚を干している姿。女性たちが一生懸命、海藻をほぐして、干す様子が目に入ります。
港のコンクリート一面に干されています。海産物は菅島の主要な産業となっているようです。港にある売店では岩海苔を売っていました。帰りに一つ、買いましたが大変に美味でした。
海産物の集荷センターも。集荷セソターに見えるには、私だけでしょうか(笑)
道路にも干されていますが、暗黙の了解なのか、車1台が通れるようになっています。後ろに写っているのは漁協です。ATMが平日しか稼働していません。(菅島では、休日や夜間にお金を下ろすことができないのです!)
漁協の売店や、ガソリン販売施設などもあり、冷蔵庫の貸し出しの決まりなど、漁業に普段接しない人には、興味のわく場所です。
日本最古の現役煉瓦灯台へ
集落自体も魅力に溢れていますが、まずは、菅島観光のメインである、現役日本最古の煉瓦灯台である菅島灯台へ行ってみることに。
集落から北へ山を超えて行く道もありますが、途中で島の方々からしし(イノシシ)が出るのでやめたほうがいいと言わたので、一般的な海沿いの道を回ることに。
海沿いの道は軽自動車ならなんとか通れるかなという道。ハイキングにはもってこいです。
高台から集落を振り返った様子。集落よりも港の方が大きいほど。
途中の道すがらには、崖上からの絶景も楽しめました。
だいたい30分ほどで灯台に到着。途中に東屋やトレイなどもあり、ハイキングしやすい環境です。少し、アップダウンがありますが、それほどではありません。途中には、獣をとるワナや野生?のみかんなども生えていました。
菅島灯台の言われが書かれた看板です。かつては灯台守の宿舎だったのでしょう、建物が建っていた跡が残っています。
小さいながらも美しい白亜に塗装された存在感のある灯台。江戸時代にはすでに篝火が灯されていたと伝えられています。この付近は鬼ヶ崎と言われ、海の難所だったようです。
1873年には現在の灯台が建てられました。日本ではもっとも初期に建てられた灯台の一つです、すぐ隣の志摩市にある、安乗崎灯台もほぼ同時期に建てられましたが、こちらは木造だったせいか、建て直されており、現存しておりません。
ベンチなどもあり、のんびりと美しい風景を楽しみながら食事などもできそうです。
しろんご浜
帰りに寄り道をしてしろんご浜へ。白髭神社のすぐ下にあり、年に1回、しろんご祭という、海女の祭が開催されます。
神社へ海上安全と豊漁を祈願して島中の海女がアワビを競い合って獲ります。一番に獲った海女は、海女頭として1年間、皆の尊敬を集めるそうです。
普段はお祭りのために禁漁となっているそうで、静かな浜辺でした。白い砂浜が印象的です。
集落を散策
さて、もう一度、集落へ戻り、路地を散歩してみます。子供たちも多く、離島ながらも活気があります。
最近では見ることも珍しくなった、鯉のぼりも複数の家で上がっていました。
鯉のぼりの下に座布団を半分に切ったような不思議なものが掲げられいます。おそらく、宗教的な慣例なのでしょう。「蘇民将来子孫家門」の護符もほぼ全ての家でかがげられており、古くからの伝統的な風習が今もしっかりと伝わっていると思われます。
蘇民将来子孫家門とは
伊勢志摩地区に伝わる民間信仰の一つです。スサノオミコト(以下 命)がかつて、この地を旅した時に、一夜の宿を求めました。最初は、お金持ちの長者の家に行きますが、命の汚い姿を見ると、けんもほろろに追い出してしまいます。次に蘇民将来の家に行くと、貧しいながらも心の篭った歓待を受ることができました。命は、感謝をし、子孫は蘇民将来子孫門と書いた護符を張るように言い残しました。
ある時、疫病が流行りましたが(命自身が疫病を流行らせたという話のバージョンもあります。)、護符の貼ってある蘇民将来の家からは、一人も病人が出ませんでした。以来、この護符を張る風習が生まれたと言われています。
鳥羽市にある、海の博物館に詳しい展示がありますので、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか。この地域の風習や海女等についての本格的な展示を楽しむことができます。
路地の様子。非常に狭い場所に家が迫って建っています。移動手段は主に原付となっている様子。
集落の中心にある菅島神社。3階建てのしっかりとした社務所もありました。
奉納されていたつがいのアワビ。しろんご祭りで獲れたものなのでしょうか?
小学校は、灯台風の凝ったデザイン。子供が多そうなので、それなりの数の生徒がいるのでしょう。
船の出発までに時間があったので帰りに重太郎屋という定食屋兼喫茶店で食事をしましたが、これが大当たり。
チキンライスを食べましたが、味の付け方、油の混ざり具合がうまく、大変美味。隠れた名店でした。観光客に一切、媚びない硬派なメニュがいいですね。(魚系のメニューは全くありません)
大切なものって何なのと考えさせられる島
私たちの人生で大切なことってなんなんだろうと、考えさせられる、本土とは違った時間が流れる島でした。子供達も多く、産業もしっかりと存在しており、大都会が追い求める幸せとは違った方向性かもしれませんが、地に足のついた、確かな幸せがこの島には存在しているように見えました。
(当然、島には島の苦しみや辛さもあると思います。)
疲れた時、自分の生き方に悩んだ時に、訪れてみてはいかがでしょうか?民宿もあり、宿泊もできるようです。宿泊すれば、もっと深く島を知ることができるかもしれません。時間があれば、ぜひもう一度、訪れてみたいものです。
次はどこへ行こう?
鳥羽城と鳥羽小学校
鳥羽駅の反対側にあり、マリンターミナルから徒歩20分ほどで行くことができます。
朝熊山
車でないと行くことができませんが、途中の展望台からの景色は絶景です。
二見浦
こちらも車か電車でないと伺うことはできませんが、落ち着いた雰囲気で散策にはもってこい。宿泊地としてもおすすめです。