「旅」のことのはぐさ

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ノンカーイのシンボル、ワット・ポー・チャイ(タイ東北部・ラオスビエンチャン旅行記5)

この記事の続きになります。

 

信仰を集める、ノンカーイのシンボル「ワット・ポー・チャイ」へ

ノンカーイのシンボル的存在である、ワット・ポー・チャイというお寺へ。

小さな町には不釣り合いなほどの信仰を集めており。タイ全土はもとより、ラオスからも参拝者が訪れるほどです。市内の中心部にあり、すぐそばにはラオスやイーサン各地へのバスが発着する、バスターミナルがあります。

ワット・ポー・チャイの本尊ルアン・ポー・プラサイは、ノンカーイの地、今あること自体が奇跡の連続の結果で、いまもなお説話として語り継がれています。

もともとは、ランサーン王朝によって現在のラオスの地で鋳造し、当初はビエンチャンの地に収められていました。ラーマ3世の時代に、タイへ移すことになり、イカダをつくり、運んでいました。ノンカーイの地に来た時に、嵐となり、メコン河の底に沈んでしまいました。

人々の必死の捜索により、ルアン・ポー・プラサイを見つけ、なんとか引き上げることができます。いったんは、ノンカーイの地に納められましたが、バンコクへさらに移動させようとし、荷車を持ってきました、しかし、幾度やっても荷車は壊れてしまいます。この地にとどまることが、ルアン・ポー・プラサイのご意志なのだろうということになり、人々は移すことを諦め、ワット・ポー・チャイを建立し、このノンカーイの地に納めらました、

他にも色々と言われがあり、男がルアン・ポー・プラサイを信じず、本当に仏像に力があるのなら、雷を起こすように言ったところ、実際に雷が起きたり、王様が自分の統治が正しいか問うたところ、奇跡的な自然現象を起こして正しいことを示したなどと伝えられています。

本殿は壁いっぱいの仏画

それらの説話が、本殿の壁いっぱいに描かれており、本殿の魅力となっています。とても精密でやわらかな色使いとなっています。タイ語(?)で言われがカイエてあるようですが、読むことができないのが大変残念です。

外壁も白い壁に、細やかな装飾の屋根が載っており、規模の大きさもあり、たいへんに見甲斐があります。地元の人も参拝は、とぎれることなく続いていました。

ノンカーイに住んでいる人は、ワット・ポー・チャイが町にあることを誇りに思っているようで、マッサージ屋に行った時に、雑談で、どこに行ったか聞かれた時に「ワット・ポー・チャイ」と答えたところ、たいへんに喜ばれ、ノンカーイの一番の見所だと言っていました。

ノンカーイ旧駅へ

次に訪れたのが、ノンカーイの旧鉄道駅です。ラオスタイ友好橋に線路を接続させたことで、今の駅よりは幾分か市街地の近くにあったノンカーイ駅が廃止になってしまったことでできた廃線と廃駅がどのような状態になっているのか、興味を惹かれ訪問してみました。

メコン河沿いの遊歩道を自転車でサイクリングし、途中からは道路に出て、東へと向かっていきます。ホテルらしい、中層階のビルがあるなと思うと、その向かいに唐突に廃駅が現れます。

保存のための整備でもするのか、それとも完全に壊してしまうのか、ショベルカーが駅の裏側で何か作業をしており、鉄道のイラストがかかれた横断幕も用意されています。

しかし、肝心の駅についてはほったらかしのままで、ホームや線路はそのまま残されています。放置されているためか、ホームの屋根が一部とれてしまっていますが、少し修理をすればまだまだ使えそうな状態です。

通りとホームがフラットなつくりで、荷物の運び出しなどはしやすそうですね、自転車でホームまで乗り入れ、残された屋根の下で日差しを避けて休憩しました。

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奥の方にもかつては引込み線がなにかが存在していた様子らしく、先がなくなったポイントがいくつも埋もれかけていました。

目の前には、かつては駅前ホテルだったのであろう、ホテルがいくつか存在しています。わりとキレイなホテルで、宿泊客を求める広告も掲示されていましたが、こんな場所ではなかなか宿泊客は少ないでしょう。

せっかくラオスまでの鉄道をつくったのですが、現在は橋を越えてすぐの場所に駅があり、交通機関としてはほとんど役に立っておらず、鉄道で国境を越えたいと思う観光客が使う程度となっている様です。(いちよう、ビエンチャンへの延伸計画はあるらしいですが、ラオス全土に中国の支援で鉄道を建設するプロジェクトが立ち上がったあおりを受け、計画が延期になってしまったようです。)

こんなに地元にメリットのない状況で、駅を市街地から遠くしたところに移動させて、よく反対運動が起きないなあと思います。日本で同じことをしたら鉄道会社へ避難轟々でしょうね。

廃線を辿って

廃線にそってさらに東に向かってサイクリングをしていきます。2009年にラオスタイ友好橋の鉄道が整備され、そのあとも2年ほどは営業していたようなので、廃線になってからそこまで時間が経過していないはずなのに、木が生い茂っており、とてもじゃないですが運行ができる状態ではありません。どこに線路があったのか、林の中に消えてしまい、よくわからなくなっている場所があります。熱帯の植物の成長が早いですね。

途中には、放し飼いにされている豚が廃線跡の上でのんきに草を食べていました。静かでのどかな雰囲気です。

北側へすすむと林を抜けたと思ったら溜池があり、さあっと景色が開けてきます。大きな池が二つあり、その二つの池の間に、大きな並木が並んでいます。並木が鏡のような水面に映っており、まるで周到に注意を払って整備された庭園かなにかような美しさでした。

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この辺りの家は、どの家も大きく立派でそとから見ると近代的です。豪邸といってもいいぐらいでしょう。おそらくは農家の家だと思われますが、それほどに儲けがあるものなのでしょうか。列車からポツポツと見える見える家も、単独で立っている家は立派で、集落にある家は粗末な木造の家が多かったです。

ノンカーイシティホテル

その後も、郊外にある大きな公園などを見て満足したところで自転車を返し、予約したホテル、ノンカーイシティホテルへ向かいます。

ホテルのある通りに入ると外国人観光客向けのレストランやバーやホテルが立ち並んでおり、静かな町には似つかわしくないほど、派手なエリアになっています。

私の宿泊する予定のノンカーイシティホテルは、看板が片方にしか記されておらず、地図で場所を確認していても知らず知らずのうちに通り過ぎてしまいました。

振り返ると、なぜ見逃したのかわからなくなるほど、立派な看板がでており、狐につままれたような気分でした。ホテルは、プレハブの安普請ですが、とても新しそうです。掃除も行き届いており、大満足です。タイは宿泊施設の値段が安価なのが、いいですね。

(続く)

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