「旅」のことのはぐさ

タイトルの「ことのはぐさ(言の葉ぐさ)」とは話題のことです。旅の話題を幅広く掲載したいと思っています♪

【和歌山】洞穴を御神体とする、和歌浦の塩竈神社

塩竈神社というとと、宮城県塩釜市塩竈神社が有名ですが、和歌山市和歌浦にもささやかな大きさながら、市民に愛される神社とて同名の神社があります。

和歌浦の小さな山の岩の崖にへばりつくように小さな社殿が外から見え、社殿のあたりだけ崖が凹んでるのが、見て取れます。

洞窟という物珍しさもあり、以前より目の前を通るたびに気にはなっていました。

現在では社殿が建てられていますが、明治時代までは無社殿の神社だったと思われ、古い古写真を見てみると、立派な鳥居はありますが、奥に社殿の姿は見て撮ることができません。

和歌山県立博物館所蔵「新和歌浦 名所絵はがき」より おそらく明治時代のもの。「米榮別荘」というのは、旅館の名前で、和歌浦では「あしべ屋」と並んで長い歴史を持つ旅館でした。

 

木製の柵や白い紙らしきものが、ちらりと見えますので、現在の「花の窟神社」のような形式だったと思われます。

現在でも無社殿の「花の窟」神社。熊野地方には、現在でも無社殿神社が残されています。

明治以降の国家神道として神社が整備されていく際に、自然信仰そのままの無社殿状態から、現在のような社殿を持つ神社に整備されました。(明治以前は、自然信仰そのままの全国に無社殿神社が数多くあったと言われています。しかし、近代国家として日本が生まれ変わるには相応しくないとされ、急速に数を減らし、現在では熊野地方にかろうじて残っている状況となっています。)

いざ、鹽竈神社の中へ

実際に中に入ってみると、外から見えた金属の建物は、落石などから保護するためのシェルターで、その下に本当の社殿があります。明治以降の社殿とはいえ、100年近い歴史があるので、風格が出てきています。

社殿内部に入るとくの字型に曲がっており、奥に崖があります。社殿の部分だけ細く崖が凹んでおり、通路のような社殿になっています。木に囲われているので、すぐに崖にへばりついているのかと思いましたが、それなりに奥行きがあります。

ご神体の洞窟は、それほど深さはなさそうですが、独特な雰囲気を持っています。自然信仰の対象となったというのは、もっともだなと感じされられます。

塩づくりの神様

祀られているのは、「鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)」安産と子授けの神さまとして有名ですが、古くは塩づくりの神さまとして祀られてきました。和歌川を挟んで、和歌浦の向かいに当たる、現在の和歌山県立大学病院付近は、紀州藩の塩田が広がっていましたので、塩田関係者から信仰を集めていたことでしょう。

塩田はその後、明治42年紀三井寺競馬場として競馬場になります。(近畿では、に番目に古い競馬場でした。和歌浦にとって貴重な観光資源となったことでしょう。)

その競馬場も昭和末期に閉鎖され、跡地が県立大学病院となっています。今でも病院の敷地がゆるやかなカーブを描いて楕円のようになっている場所があるのは、競馬場時代の名残です。

 

ここが参拝できるいちばん奥になります。木の枠の後ろにも洞窟が少し広がっています。

静かな雰囲気で、洞窟のひんやりとした空気が気持ちの良い場所です。自然の持つ、不思議なパワーをじっくりと味わうことができました。

小さい神社ですので10分もあればお参りできるでしょう。

料理旅館「あしべ屋」跡

神社のすぐ右手には、「あしべ屋」という旅館がありました。江戸時代には茶店としてつくられ、明治時代には和歌浦でもっとも格式の高い旅館として繁栄したと言われています。

夏目漱石ももともとは、「あしべ屋」に泊まるつもりでいたようですが、同行者の菊池総長という方が宿泊していたので、日本初の展望エレベーターのあった「望海楼」へ予定を変えて宿泊したと日記に書かれています。

案内の看板には、和歌山のほこる有名人「南方熊楠」と中国革命の父孫文」が明治34年に宿泊したと書かれています。

現在は、ただ草むした空き地が広がるだけで、柱の跡や、石につけられた階段の跡だけが当時をしのぶことができる状態となっています。

(続く)

次は、「あしべ屋」跡の向かいにある妹背山へ渡ってみます。こちらには、今でも「あしべ屋」の別邸が残っています。

関連情報

 元祖パワースポットとも言える無社殿神社として、現在もそのままの形で残る、花の窟神社。

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