「旅」のことのはぐさ

タイトルの「ことのはぐさ(言の葉ぐさ)」とは話題のことです。旅の話題を幅広く掲載したいと思っています♪

【三重・鳥羽】大正天皇も宿泊した、伊勢二見の旅館「賓日館」見学

伊勢神宮へ参拝に来た賓客たちをもてなした、高級旅館

伊勢神宮から、ほど近い名勝の地、「二見」。

夫婦岩を中心に、美しい景観を楽しみながらのんびりと休暇できる、静かな旅館街です。かつては、伊勢から直結して鉄道が走っていたこともあり、海水浴場を併設した二見は、伊勢神宮参拝客の宿泊地として、明治時代より発展してきました。

いまでも、趣深いレトロな旅館街として残っており、風流ある町並みを楽しむことができます。

その、二見の地でもっとも高い格式を誇った宿泊施設が、今回ご紹介する「賓日館」です。

当初は、伊勢神宮の参拝する賓客をもてなすための、宿泊・休憩施設として財団法人「神苑会」の手によって建設されました。

神苑

神苑の整備を目的とした財団法人で、1911年まで存続していました。神宮の関連施設を数多く建設・運営していました。農業の博物館「神宮農業館」や、伊勢神宮関係の品を収蔵する博物館「神宮徴古館」も建設しています。余談ですが、「神宮農業館」、「神宮徴古館」はともに外宮近隣の近鉄宇治山田駅から徒歩圏内にあります。あまり、流行っていませんが、見どころたっぷりの博物館ですので、ぜひ伊勢神宮参拝の折に訪問してみてください。

英照皇太后大正天皇の生母)の宿泊に間に合わせるため、明治19年12月に着工し、わずか3ヶ月後の明治20年2月に竣工と、極めて短い期間で建設されました。短い期間で立派な旅館ができたことに街の人は驚いたとの記録が残っています。

明治24年には、大正天皇が皇太子時代に水泳訓練と療養を兼ねて、3週間ほど滞在しました。

神苑会時代には、宿泊するために会の幹事の許諾を得る必要があったと記されています。単にお金があるだけでは、宿泊・休憩できない、格式高い施設として、運営されていました。(明治30年発行「神都の繁栄」坂常三郎編より)

明治44年になると、旅館「二見館」へ払い下げられ、二見館の別館となります。

誰でも拝観可能な記念館へ

その後も、賓客の宿泊施設として使われていましたが、平成11年に二見館が休業すると閉鎖され、地元の要望もあり二見町へ寄付され、一般に開放されました。

(保存が決まるまでには、地元を代表する建築物をなんとしても残したいという、住民たちの熱意による、保存活動があったそうです。)

現在では、300円を払えば、誰でも館内を閲覧することができます。

 

二見名物の松の防風林を歩いて行くと、ひときわ立派な建物があります。これが、賓日館です。建物の前には、手入れの行き届いた立派な庭園があり、旅館時代をしのぶことができます。 

内部を拝観するため、入口へ。拝観料300円を払います。館内は、暖房が一部しか聞いていないので、靴下袋などを借りることができます。冬なら、借りといた方がいいです。

 

内部散策♫ 

順路通りに、まずは2階から。当時の客室を見ることができます。細かいところまで、丁寧に作られた美しい建物。

見どころの一つが、大広間。巨大な畳敷きの部屋に、シャンデリアが輝く、和洋折衷の美しい部屋です。立派な板敷きの舞台もあります。当時は、豪華な夕食会が開催されたことでしょう。

大広間を横から。ガラスは手作りの時代のため、少しゆがんで外が見えます。シャンデリアがとても立派で見ごたえ抜群。天井のや襖の細工も見事の一言。桃山式(安土桃山時代風)のデザインになっています。派手ですが、細工の丁寧さで、いやらしさを感じさせません。

賓客が宿泊に使用された、御殿の間

もう一つの見どころが、賓客が宿泊に使用された「御殿の間」。

調度品も当時のまま残されており、往時の雰囲気を楽しむことができます。賓客気分で、窓際に置いてある椅子に座ることもできます。(古くなっていますが、座り心地は抜群でした。本当にいいものは、時代を経てもいいままですね。)

1階の一部は展示室になっており、往時の様子や二見の歴史について学ぶことができます。他にも客室や従業員向けの施設を見ることができます。

重要文化財にも指定されており、明治時代の空気を残す、たいへん貴重な施設です。往時は、賓客しか味わうことができなかった、豪華な気分を、二見に訪問した際は、ぜひ味わってください。

次はどこへ行こう

マコンデ美術館

アフリカのタンザニアに住むマコンデ族のつくった、芸術品が展示されている美術館。アフリカの現代美術を代表するマコンデ芸術の作品を楽しむことができます。小さいながらも、愛が伝わる丁寧な展示が魅力の素敵な美術館です。 

夫婦岩

いわずと知れた、二見を代表する風景。江戸時代から、夫婦円満の神様として信仰の対象になり、浮世絵などにも数多く描かれてきました。

いまでも、参拝客がひっきりなしに訪れる、二見で一番の人気スポットです。賓日館から、徒歩5分ほどで訪問可能です。

豚まん専門店「ウォン」

二見駅前にある、地元で人気の豚まん専門店。素朴な味ながらも、お肉がたっぷりつまった美味しい肉まんを楽しむことができます。1個からでも購入が可能ですので、おやつ代わり、一つ購入してみてはいかがでしょうか。

鳥羽城&旧鳥羽小学校 

鳥羽水族館から線路を挟んで反対側にある鳥羽城。非常に珍しい海に浮かぶ海城でした。埋め立てが進んだため往時の気分を味わうことは難しいですが、門の一部が復元されています。

また城内には、アール・デコ建築の旧鳥羽小学校の建物も残されています。現在は使用されていないため、荒れてますが、それでも美しい建物です。


 

【三重・鳥羽】マコンデ芸術への愛が伝わる、マコンデ美術館

伊勢志摩観光の際に訪れてほしいのが、マコンデ美術館。小さいながらも、丁寧な展示でアフリカを代表する美術工芸品、マコンデへの愛が伝わる美術館です。

マコンデとは、アフリカ東部タンザニアに暮らす部族の名前。彼らが創り上げる芸術品が優れていたことから、有名になりました。

マコンデ族 - Wikipedia

もともと、祭礼などに使用する伝統工芸品に端を発し、近代芸術の影響を受け、高い芸術性を獲得し、世界中で高い評価を受けています。

 マコンデ芸術の歴史から学べる1階展示ゾーン

美術館は最初に、古典的なマコンデの工芸品からはじまります。

奇妙なマスク。東洋系の人をモデルにしているのかと思うようなデザインもあります。古い時代から木彫りの彫刻を作ることが、伝統として根付いていたことが、芸術として発展する下地になったそう。

次のゾーンからは、芸術品として洗練された作品が展示されています。

すらりとした黒壇の作品で、先ほどの民族工芸品から比べるとシンプルで無駄を削ぎ落とした抽象的な作品になっています。さらに、嬉しいことにほとんどの美術品が触って楽しむことができます。

(触ってはいけない美術品のみ赤い印がついています。7割ぐらいの展示品は触って楽しむことができます。)

抽象的ながら、力強い像の数々が展示されています。

ダイナミックで美しい、近代美術館にあっても見劣りしないデザイン。のみとヤスリだけで作り上げるというのですから、驚きです。

変わりどころでは、カメレオンの像もありました。カワイイ。

高い評価を受けているのも納得の洗練された作品群です。

二階はアフリカの民芸品が展示

二階には、現地の民芸品が飾られています。

ビーズの首輪や楽器など、さまざまな物が飾られています。民俗学的なモノが好物の私としては2階の方が楽しめました♬

アフリカの指ピアノもありましたよ。こちらも一部の作品は手にとることができます。

決して、大きいとは言えない美術館ですが、マコンデ芸術への愛がたっぷりと伝わってくる素敵な場所でした。よくわる観光地に無理やりつくった、観光客向けの施設とは一線をかした、素晴らしい美術館です。

なぜ、「二見なの?」という疑問符は沸きますが、せっかく来たなら、ぜひ寄ってみてほしい場所です。

information

営業時間 午前9時〜午後5時

営業日 毎週火曜日(但し、祝日の場合は翌日に振替)

    6月・12の月第2(月)~(金)
    年末年始

入場料 大人1000円(JAF会員の割引有、まわりゃんせの無料入場施設)

 

次はどこへ行こう

二見浦

夫婦岩で有名な、観光地ゾーン。水族館「二見シーパラダイス」もあります。

二見地区には、おついた雰囲気の旅館街が続き、散策には最適。皇族や著名人が宿泊したこともある、旅館「賓日館」は一見の価値あり。内部も拝観可能です。(現在は、旅館としては営業を終了し、博物館として解放されています。)

二見駅の前には、肉まんで地元では有名な「ウォン」のビルと店舗があります。素朴な味で美味しいですよ。

(注意)池の浦シーサイド

マコンデ美術館のすぐそばにある「池の浦シーサイド駅」は、夏季のごく一時期にしか、営業しない駅です。(鉄道マニアの間では、めったに列車が停車しない駅として有名なほどです。)電車で行こうと考えている人は、ご注意ください。

【和歌山】「戦前の軍事施設」と「戦後の観光開発」の跡が残る無人島、友ヶ島

観光で賑わった無人島「友ヶ島」

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和歌山市の西部にある、無人島「友ヶ島」。江戸時代以前から修験道の島として人が訪れていたと言われています。友が島から東に向かい、紀伊山脈を辿って行くルートがあり、修験道が盛んだった明治以前には多くの人々が修行をしていました。

戦争が迫ると由良要塞が建設され、民間人の立ち入りは厳しく制限され、民間人では修験道の関係者のみが特別に許可を受けて入る状態が続きます。

戦後になると、要塞は破棄され、砲台跡を観光資源として、戦前とは一転し観光の島として開発が始まります。一時は、南海電鉄が力を入れて開発をしていましたが、後に撤退。

現在では、地元の漁協や小規模な旅館が細々と営業を続ける状態となっています。

2010年代になってからは、大阪からもっとも近い無人島、煉瓦造りの放棄された要塞が、アニメ映画「ラピュタ」に出てくる、廃墟化した空に浮かぶ城に似ているということで人気を集めはじめます。

一方では、台風で埠頭が損壊し、長期間に渡って営業休止に追い込まれる、旅館の一つが廃業するなど、一進一退の状況が続いています。

埠頭付近は、観光開発の廃墟が残っているのも、静かな無人島をイメージしてきた人々には幻滅を抱かせることになるかもしれません。 無人島といいながらも、住所を友が島においている人が存在しないだけで、夜でも旅館やキャンプしている人がいるので、シーズンオフ(冬期)や荒天時を除いて人は駐在しています。

余談ですが、和歌山市で行われる選挙で不在者投票に行くと、理由選択欄には、「友が島に住んでいるため」という項目が選択できるようになっています。一人で「無人島ちゃうんかーい」、と突っ込んでしまいました(笑) 


船に乗って友ヶ島へ

和歌山市の西端にある加太から、友ヶ島行きの船が出ています。友ヶ島汽船という会社の船で、往復2,000円となります。

友ヶ島汽船株式会社 | 和歌山加太 友ヶ島(ともがしま)

余談ですが、加太には、人形供養で有名な加太神社や古い旅館、温泉などいろいろと興味深い、観光スポットが点在していますので、あわせて訪問してみるのも、オススメです。

埠頭に到着すると、小さな食堂(友が島荘)があり、いちよう自動販売機もあります。(ちょっと値段は高いですが)

後ろの方には、コテージだったらしきものがありますが、廃墟化しています。

最初の砲台、第一砲台へ

埠頭から右手に向かって第一砲台へ歩いて行くと、気になるのが海岸がとても汚いこと。

これは、海全体がキレイにならないと何ともならないことでしょうが、たいへんに酷い状況です。

(全てのエリアではなく、島の南西部のみに限ったことです。他の部分の海岸は普通の状態です。海流の関係で大阪湾のゴミが島に漂着してくるらしいです。)

途中では、野生のクジャクに出会いました。私は見かけることはありませんでしたが、鹿もいるらしいです。

10分ほどで第一砲台に到着。かなり崩落しており、外から見るだけ。海水がここまで来ることあるようで、ゴミが大量に漂着しているのが残念です。

崩落の原因も波による侵食の影響でしょう。煉瓦づくりの美しい建物ですが、ひどくぐちゃぐちゃに壊れています。ここは、あまりラピュタという雰囲気は感じられません。

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砲台の裏手は、電信柱があったり、井戸があったり、家が建っていたかのような平場があったりと、まるで集落の跡かのようです。民間人の居住はなかったはずですので、おそらく、軍人さんの住居の跡か、観光開発が今よりも盛んだった頃に職員住居でもあったのでしょうか。

まるで、廃村のような雰囲気です。水もあるので、キャンプをしている人をよく見かけます。廃村らしき場所を抜けると、砂浜にでます。こちらの海岸は、ゴミが漂着しておらず先ほどとは打って変わってキレイな場所です。岩肌がでているため、荒々しさを感じさせます。

友ヶ島灯台へ

崖を登っていくと、明治5年に建てられた、友ヶ島灯台があります。友が島の名物の一つで、日本でも最初期の灯台の一つです。現役ですが、実は廃墟と化した砲台よりもお年寄り。

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イギリスと結んだ、大阪条約という租税条約にもとづいて建設された5つの灯台の一つで条約灯台と言われています。

(日本最古の洋式灯台は、明治3年に建てられた観音崎灯台ですが、大正時代に地震で崩壊して現存していません。)

付近には、2002年になってから再発見されたという聴音所と、発電所の跡地があります。

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また、関西空港の関連施設の電波施設があります。この施設ができたことで、海底電線が引かれ、島での電力制限がなくなったらしいです。

 

それまでは、ずっと海軍のつくった発電所をだましだまし使っていたということです。発電所の跡にいくと、煉瓦づくりの建物に煙突がニョキと出ています。敵に見つかりにくくしたのか、半地下式になっています。今でも予備として使用できるように、整備されているとのこと。戦前の発電機がよく動きますね。

 

もっともラピュタらしい、第3砲台

さて、最後の訪問先は、もっともラピュタらしいと言われている第3砲台。他の砲台よりも規模が大きく、キレイに施設が残っています。内陸部にあることも影響しているのでしょうか。

真っ暗な通路を抜けると、いきなり煉瓦に囲まれた美しい場所に出ます。それまでの暗黒の通路との対比のせいか、ふぁといきなり視界が開けると、写真で見たよりも感動的にみえました。ラピュタらしいと言われるのもわかりますね。 水のたまった部分は少し凹んでいます。昔はここに砲台が据え付けられていたのでしょう。

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森に囲まれて静かな雰囲気です。とても軍事施設とは思えませんが、現役当時は物々しかったのでしょうね。 少し下ったところにある倉庫の跡もいい味が出ています。

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この辺りの写真が、観光パンフレットとかに使われることが多いです。

 

倉庫のすぐ横には、職員住居が残っています。日本家屋なのに、一部が煉瓦づくりになっているので、ちょっと違和感を感じます。壁はかなりボロボロですが、屋根や煉瓦づくりの部分はまだまだしっかりしています。今ならまだリノベーションできそうな気がしますね。

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ここから山を降りると、埠頭へ行くことができます。これで島を半周したところでしょう。

行ってみて

まだ、行っていない半分には修験道関係の施設などが点在しているらしいですが、今回回った部分ほどの見所はないようです。 また、機会があったら行ってみたいような気もしますが、体力をもうちょっとつけないと。

距離はそれほどでもないのですが、アップダウンが激しいので、坂道を歩く習慣がない私にはちょっと辛かったです。

アウトドアを楽しむ無人島というよりは、廃墟や近代遺産に興味のある方にオススメしたい場所です。観光開発の跡地好きにもたまらない場所でしょう。

訪問する際は、船に乗る前にお水などを購入していくことをオススメします。埠頭のそばで買うことができますが、お値段がちょっと高いです。

関連情報

hino0526.hatenablog.com